ガハハの日常
骨のあるヤツを目指して、現在も全力疾走しております。
徳田です。
2016年4月に、19年続いたバンドスムルースを休止して、
同時に株式会社ガハハを立ち上げたのですが、
ホームページについては、さかのぼること5年、2011年ごろから学び始めました。
ハローワークに行き、職業訓練を受け、WEBを学びます。
そこでは、履歴書の書き方から面接の仕方まで
きちんと教えてもらいます。
長女も生まれ、家族を養うことが一番の条件だったので、
不眠不休でホームページの勉強して、音楽もして、
とにかく、何ひとつあきらめるものかと、
欲張りに欲張っておりました。
夢も、家族も、未来も!
なんとでもこいや!!
全部飲み込んでやる!!
そんな感じに片意地張って、
踏ん張るのがやっとの35歳です。
面接までたどり着いても、「はい、そこまで」の感じはすごかったです。
そもそも条件に「3年以上の実務経験」ってあるわけですから、よく面接まで通ったものです。
履歴書には、書くことがないので、音楽の実績を書きました。
そしたらこうなります↓
以上、っていわれても(笑)
収入もなく、嫁の貯金に頼る日々が続き、
ここまでかと思った時に、まさかの船井総研という大企業が拾ってくれたのです。
「15年(その時は15年でした)音楽を続けたのは、15年、会社に勤めたの同じ」
船井総研時代たくさんの恩をいただいた上司が、そんなことを言ってくださったのを覚えています。
そんなこんなですから、それはもう、
骨をうずめるつもりで会社に尽くそう
そんな気持ちでした。
会社では、噂に聞いた社会人の風景がありました。
財布ひとつを手にもってのランチタイム、
給湯室での会話、
残業後の居酒屋、
仲間との友情や軋轢、
良い上司に意味が分からない上司、
音楽しか知らない私にとって、
すべてが新鮮で、なにより刺激的でした。
↑同僚が描いた「はたらくトクダ」
船井総研は、中小企業の経営コンサルティングで、日本一、
ボーナスの額も日本一、
天井が見えないほどの高学歴で何か国語でも話せる人や、
MBAか中小企業診断士かのどちらかはほぼほぼみんな持っているような
エリートだらけの会社です。
今ではもっとすごいことになっているようですが~~
今でも船井総研で働くことは楽しいことばかりだったな!と素直に思います。
辞めようと思ったのは2つ理由があります。
一つは、やはり、ちゃんと音楽がしたくなったということ。
もう一つは、収入です。
入社したといっても、準社員です。
なかなか厳しいものがありました。
ある日の休日、2歳になった娘と嫁と神戸のアンパンマンミュージアムにいったときのことです。
もちろん、そこでは、2階の有料コーナーに行くこともなく、
アンパンマンのパン屋さん(ちょっと高いんです)に入ることもなく、
持ってきたお弁当でやり過ごすのですが、
1200円のアンパンマンの風船が娘の目にとまります。
風船をはじめて認識したのでしょう、きらきらとした目で風船を追いかけまわします。
買えないんです。
1200円の風船。
それは、もう、残酷でした。
その時、初めて、自己嫌悪になりました。
職業訓練にいかないといけないとか
自分の過去がなんの役にも立たないとか
就職先がないとか
嫁の貯金を食い始めたとか(←このとき気づけよ)
数千万円稼ぐ年下がいるとか
どんな時も、前をむいておりました
しかし、何より、娘に風船を買ってあげられないという自分に、
いままで我慢してきたぶんの劣等感が爆発したんです。
娘は、特におねだりをしたわけではないのですが、
もう、くやし涙が止まらなくなりまして。
嫁に、「何で泣いてるん?」と情緒不安定なイメージを持たれ、心配されました。
涙が止まらなくて、歩けなくなりました。
悔しいと歩けなくなるんですね!!
800円なら買えたのに!!
いや、そういう問題でなくて・・・
帰りの電車で、嫁に、
「もう、絶対独立する!」
そう告げました。
会社勤め3年弱、
仮に再就職しなければなくなっても、
あの恐怖の条件、「3年以上の実務経験」
にさえ到達できてない半人前です。
ここからがまた、おもしろい2年間の始まりなのですが、
嫁は「またか」
きっとそう思ったに違いありません。
そして、結論から言うと
今は1200円の風船は買ってあげらるのですが、
(教育上、嫁が買わせてくれませんが・・)
今度は、なかなか娘と遊ぶ時間が無くなってしまいましたが、とほほ
では、また機会あるときに続きを。
【最近の気づき】
1日3回メガネを拭くとして、10年で1万回くらい拭いていることになるんだなあ